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東京高等裁判所 平成2年(行コ)41号 判決

控訴人 鄭宏溶

右訴訟代理人弁護士 山口広

同 鬼束忠則

同 東澤靖

被控訴人 法務大臣 田原隆

被控訴人 国

右代表者法務大臣 田原隆

右両名指定代理人 加藤美枝子 外七名

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人法務大臣が昭和六一年六月六日に控訴人に対して行った在留期間更新許可処分を取り消す。被控訴人法務大臣は控訴人に対し、在留期間を三年とする在留期間更新許可処分をせよ。被控訴人国は控訴人に対し、金一〇〇万円を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決の事実摘示及び当審訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の追加的主張)

1  指紋押捺制度廃止の動きについて

指紋押捺制度は、本件控訴後、内外の批判の中で制度全廃に向けた動きが進んでいる。すなわち、指紋押捺制度は、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年一二月一八日条約第二八号、以下「日韓地位協定」という。)第二条に定める、いわゆる在日韓国人協定三世の法的地位をめぐる日韓協議をきっかけとして、以下のように推移している。まず在日韓国人協定三世については、一九九〇年四月三〇日の日韓外相定期協議において、「指紋押捺については、三世以下の子孫の立場に配慮し、これを行わないこととする。このために指紋押捺に代わる適切な手段を早期に講ずる。」との合意がなされるに至った。また、在日韓国人協定一世、二世についても、同年五月二四日の日韓首脳会談において、海部総理大臣が廬泰愚大統領に取扱の改善に向けた検討を約束した上同年一一月の日韓定期閣僚会議において指紋押捺義務の免除を合意し、翌一九九一年一月七日海部総理大臣は、在日韓国人全体について、一九九三年一月までに指紋押捺制度を全廃するとの方針を決定した。かかる動きは、在日韓国人のみに留まらず、政府は在日韓国人と同様の歴史的経緯をもつ在日朝鮮人及び台湾出身者についても、指紋押捺義務の免除を含む法的地位改善のための法案を提出する方針を決定している。さらに法務省は、一九九一年一月四日、外国人登録制度検討促進委員会を発足させて、近い将来、すべての在日外国人についても指紋押捺義務を免除する方向で指紋押捺制度を検討することとなった。

このように、指紋押捺制度については、現在その全廃に向けた方針を政府自身が採用するに至っているのである。

2  合理的存在理由のない指紋押捺制度と控訴人への報復処分

以上のような指紋押捺制度全廃へ向けた政府自身の動きの中から、次のような諸点が明らかとなっている。

第一に、控訴人が再三述べるように、指紋押捺制度は決して被控訴人国が主張するように外国人登録のために必要不可欠な措置ではなく、容易に全廃の措置かつ代替手段を取ることができるものでしかなく、それゆえ、指紋押捺拒否という「法違反」は、全く実害のない軽微のものであったとみるべきである。

第二に、それにもかかわらず、一九八〇年代に、政府が、指紋押捺拒否者に対し、強制捜査や公訴提起などの強圧姿勢でのぞんだのは、外国人登録という法目的の実現のためよりは、指紋押捺拒否運動への報復の意図を有していたとしか考えられない。

第三に、そのような日本政府の強圧的姿勢にもかかわらず、指紋押捺は、日本と韓国間の政府協議で、韓国側がその制度の廃止を強く求め、日本政府も在日韓国人の指紋押捺の免除を確約せねばならないほど、その制度自体の存続が国際的にも問題とされている。

第四に、被控訴人らは、右のようにいずれ廃止されるような合理性のない指紋押捺制度違反を理由に、控訴人の在留期間更新申請に対し、従来の期間を短縮したものである。しかし、控訴人のように外国籍を有してはいるが、日本にしか生活の本拠を持たない者にとって、日本での在留は生活の前提となっているものであり、それにもかかわらず、合理性のない指紋押捺義務違反をとらえて、その在留を不安定ならしめた被控訴人国の行為は、何ら必要性のない報復的な措置であるといわざるを得ない。

理由

一  本件処分の取り消しを求める訴え及び在留期間を三年とする在留期間更新許可処分を求める訴えの適否について

当裁判所も、控訴人の右訴えは、いずれも不適法と判断する。

すなわち、

1  憲法上、本邦在留の外国人(右外国人が、いわゆる在日朝鮮人・韓国人か、あるいは他国人であるかは問わない。)が、引き続き本邦に在留することができる資格の付与を申請し得ることはもとより論をまたないが、その場合であっても、新規入国者のなす申請となんら異なるところはないのであって、本邦に在留中であるからといって、これを引き続き在留し得る権利があるとか、あるいは、従前と同一の在留期間の更新を要求し得る権利が当然に保障されているものではないと解するのが相当である。

したがって、法務大臣は、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)二一条三項の在留期間の更新の申請があった場合、右更新の許否を決定するにあたっては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の観点から、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならない必要上、広汎な裁量権を有するものである(最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決、民集三二巻七号一二二三頁参照。)。

ところで、控訴人は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号、以下「法律第一二六号」という。)二条六項の適用を受ける者(いわゆる「一二六-二-六該当者」。この者については、入管法二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。)ないしは、入管法四条一項一六号、同法施行規則二条二号の適用を受ける者(いわゆる「四-一-一六-二該当者」。この者については、在留資格を一律に三年とし、三年毎に更新される特定の在留資格が付与されている。)のいずれにも該当しないから、控訴人の在留資格は、入管法四条一項一六号、同法施行規則二条三号に基づくもの(いわゆる「四-一-一六-三該当者」。この者については、同法施行規則三条六号により、三年を超えない範囲内で法務大臣が指定する期間が在留期間となる。)であり、控訴人のような資格での在留期間更新許可申請がなされた場合においては、控訴人やその父母を含む在日韓国人、朝鮮人が日本に在留するに至った歴史的経緯や、控訴人が出生以来日本で生育して日本を生活の本拠としていること、我が国と大韓民国との間では在日韓国人の法的地位と待遇に関し協定が結ばれており、右協定で合意された範囲内の在日韓国人については永住許可や退去強制事由の限定などにおいて特別の措置がとられていること、など控訴人主張の諸々の事情を考慮に入れても、法務大臣の前記のような裁量権限に控訴人が主張するような制約があるとは到底認められないのである。

2  控訴人のような「四-一-一六-三該当者」から在留期間更新申請があった場合、法務大臣は更新の許否のみならず、許可する場合に在留期間を三年を超えない範囲内でどの程度にするかについても広汎な裁量権を有しているものであり、法務大臣に認められている前記のような広汎な裁量権限の性質、内容に鑑みると、控訴人の提出した本件在留期間更新申請書類に「希望する在留期間」を記入する欄があったとしても、それは同欄の記載を法務大臣の裁量判断の一資料とする以上の意義を有するものではなく、加えて、控訴人に従前付与されていた在留期間と同一の在留期間の更新を求め得る権利が与えられているものではない以上、本件の場合、期間を一年と定められたにせよ、ともかく一定期間在留の許可が付与されたものといえるのであるから、控訴人が本件処分によって権利または法律上保護された利益を侵害されまたは必然的に侵害されるおそれがあるとは認められないものというべきである。そうとすれば、本件に関し、控訴人は、行政事件訴訟法九条に定める処分の取り消しを求めるにつき法律上の利益を有するものに当たるとはいえない。

控訴人は、希望する在留期間三年の申請に対して期間一年のみを許可した本件処分は、控訴人に対し一年を超えて在留してはならないという権力的規制を内容とする処分性をも併せ有するとし、控訴人においてこれまで繰り返しなした在留期間三年の更新申請が、数回にわたり許可が認められてきたのであるから、右事情は法務大臣の裁量権を覊束すべき重要な考慮事項であるにもかかわらずこれを看過した点において違法な処分であると主張するもののようである。しかしながら、法務大臣が在留期間の更新の許可を決するにあたっては、申請の都度、前記諸般の事情をしんしゃくし、時宜に応じた的確な判断を加えているものであり、同一の在留期間更新申請が数回にわたり許可されているからといって、控訴人に同一期間引き続き本邦に在留することを要求し得る権利が事実上生じたものと解する余地はないというべきである。

3  さらに、いわゆる無名抗告訴訟としての義務付け訴訟が許容される場合があるとしても、三権分立制度との関係上、少なくとも一般的に行政庁の第一次的判断権を害しないような場合、すなわち当該行政庁がなすべき行政処分の内容が法律上覊束されていて、行政庁の自由裁量の余地が残されていないため第一次的判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要でないと認められる場合に限られるというべきところ、控訴人のような「四-一-一六-三該当者」の在留資格を有する外国人からの在留期間更新許可申請に対しては、法務大臣は前記のような内容の広汎な裁量権を有することに鑑みると、控訴人が本件において主張しているような在留期間を三年とする在留期間更新許可処分を求める訴えは、いわゆる義務付け訴訟として、その要件を欠くことは明らかであり、不適法である。

以上に説示するほかは、原判決理由第一、第二(原判決八二目表一行目から九一枚目表一行目まで)と同一であるから、これを引用する。

二  被控訴人国に対する損害賠償請求の当否について

当裁判所も、控訴人の右請求は失当として棄却を免れないものと判断する。すなわち、

1  控訴人のような「四-一-一六-三該当者」の在留資格で在留する外国人の在留期間更新許可申請に対する、法務大臣の前記のような広汎な裁量権の性質、内容に鑑みると、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえまたはその濫用があったものとして違法となるものと解するのが相当と判断される(前記最高裁大法廷判決)。

ところで、控訴人が指紋押捺拒否行為をした昭和六〇年六月二七日及び本件処分のあった昭和六一年六月六日当時施行されていた外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条に基づく指紋押捺制度は、日本に在留する一六歳以上の外国人(一年未満の在留期間の者を除く。)に対し、新規登録申請等の場合のみならず、五年ごとの確認申請の場合にも登録原票、登録証明書及び指紋原紙に指紋を押捺しなければならない義務を課していたものであるが、その目的は、これまで登録にあたり人物を特定する方法として写真等にのみ依存していた結果、二重登録や写真の貼り替え、或いは氏名の書き替えなどによる不正登録や不正な外国人登録証が多数横行するに至ったことに鑑み、外国人登録制度の正確性をより的確に維持するため、登録された特定の個人の同一人性を保持し、さらに現に在留する外国人と登録上の外国人との同一性をより正確迅速に確認し得る方法を講ずる(登録された人物のいれかわりの防止)ことにあることが明らかである。

元来、写真等による人物の同一人性の判定は一定の不確実性は免れないものであるのに対し、万人不同、終生不変の指紋は、客観的明確性を有する最も確実な同一人性確認の手段といえるのである。もとより、外国人といえども指紋押捺を合理的な理由もなく強制されない権利は憲法一三条の上から保障されているものといえようが、個人の有する右自由も、公共の福祉のために必要がある場合には相当の制限を受けることは同条の規定の上からも明らかであって、本件当時の外国人登録法上の指紋押捺制度は、前記立法目的、趣旨に照らし、十分な必要性と合理性があったことが肯認され、控訴人主張の制度の運用の実態などの点を考慮にいれても、同制度が憲法一三条、一四条一項ないし国際人権規約B規約七条、二六条などに違反するものであったとは到底考えられない。

してみれば、控訴人の指紋押捺拒否行為は、右改正前外国人登録法一四条に基づく指紋押捺義務を拒否した違法行為であることは明らかであるから、被控訴人法務大臣が、控訴人の本件在留期間更新申請に対する裁量判断において、控訴人の本件指紋押捺拒否行為を厳しく評価し、かつ、控訴人の指紋押捺拒否運動への関与の状況について一年後に再度審査することを相当と認めたことにより在留期間を一年と定めたこと等には、重大な事実誤認や、事実評価の点において何ら明白な不合理あるいは社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは認めがたい。

2  控訴人は、さらに、昭和六二年法律第一〇二号による外国人登録法の改正(昭和六三年六月一日施行)により、従来は五年ごとの確認申請等の度に義務付けられていた指紋の押捺が、原則として新規登録の際に一回押捺すれば足りることとされたこと、また、平成三年一月の時点で、日本国政府が二年以内に在日韓国人全体について指紋押捺制度を全廃する方針を決定し、そのために所要の法改正作業を進めていること等を挙げて、指紋押捺制度がもはや制度的合理性がなく、控訴人の指紋押捺拒否行為は、法違反としては全く実害がなく、控訴人に対する在留期間を短縮するような不利益処分の根拠とはなり得ないと主張する。

しかしながら、我が国に在留する外国人の公正な登録を保持するために、指紋押捺制度を採用するかどうか、採用するとした場合の外国人の範囲・方法・内容、写真などの代替手段でまかなうかどうか等は、指紋押捺を強制されることの個人の私生活上の自由ないし権利への侵害の程度、不快感、名誉感情等への配慮とともに、国内の不法入国者や不法残留者の状況等をはじめとして、治安、労働等の国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくして、そのつど立法府において合理的な裁量の上決定されるべき問題であって、今後仮に控訴人主張のように全面的に指紋押捺に代わる代替手段が採用されるに至ったからといって、本件当時の指紋押捺制度が遡って直ちに違憲ないし不合理のものと評価され、ひいては、本件処分が違法・不当と断定されるべき筋合のものではないと解される。

そして、その他、控訴人が多岐にわたって主張するところもいずれも理由がないと判断するものであり、その理由は、以上に説示するほかは原判決理由第四(原判決一〇一枚目表二行目から一五〇枚目表一〇行目と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決一〇五枚目裏四行目、同一〇九枚目裏七行目、同一一〇枚目裏四行目、同一一三枚目表九行目の各「同法施行令二条三号」を「同法施行規則二条三号」と、同一四二枚目裏二行目「明らかであり、」を「明らかである。」とそれぞれ改め、同行目「前記のような」から四行目「いわざるを得ない。」までを削る。)。

三  以上の次第で、これを同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下薫 裁判官 豊田建夫 裁判官 松岡靖光は、退官により署名押印できない。裁判長裁判官 山下薫)

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